2018年10月12日

伝説の源義経=チンギス・ハン説、これは本当ですか

日本には「判官びいき」という言葉があります。勝者よりも敗者、強者よりも弱者に肩入れしてしまう感情のことです。この言葉は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、源義経が判官の地位にあったことに由来しています。
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源義経の自筆の書
『源義経請文』義経の自筆によるもの。
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 源平の戦では、華々しい戦果を上げた源義経。しかし、そのカリスマ性が、実の兄である源頼朝に疎んじられる原因となりました。義経は頼朝と対立して朝敵となり、追われる身となります。最期は身を寄せていた奥州藤原氏の裏切りにあい、平泉にある衣川館で自害しました。そんな義経が実は生存していて、モンゴルへ渡りチンギス・ハン(カン)になったという説があります。
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 この説が最初に提唱されたのはドイツ人医学者のシーボルトでした。彼は著『日本』の中で、義経が生き延びて蝦夷へと逃れていったことを示す伝説が東北や北海道にあることや、チンギス・ハンの前半生が不詳であること、当時のモンゴルになかった長弓をジンギス・ハンが得意にしていたことなどから、この説を支持しました。その後、末松謙澄『義経再興記』や小谷部全一郎『成吉思汗ハ源義經也』が発刊されたことで広く知られるようになり、多くの信奉者を生み出しています。
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また、シーボルト以前にも義経生存説はたびたび議論されており、江戸時代中期には林羅山や新井白石が「義経は衣川で死なずに蝦夷へと逃れ子孫を残している」と生存説を支持しています。長きにわたってこうした議論が続いているのも、悲劇の将として極めて人気の高い源義経だからこそだといえるでしょう。

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Posted by 中村www.ai-doll.com at 15:49│Comments(0)
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